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哲学対話「生きずらさ」について

 先日、長野市の「まるくに」さんで行われた哲学カフェに参加させていただきました。私(と妻)以外は以前にも参加されたことがあるようで顔見知りの様子で和やかな雰囲気でした。対話が始まると「誰が話しているか」ではなく「何を話しているか」に主眼が置かれた対話がなされ、とても参加しやすい哲学対話でした。以下は私個人視点で考えたことや感想です。

 

 その日のテーマは「生きずらさ」[原文ママ]についてでした。「生きずらさ」について各々が自身の考え、問い、問いに対する考えを出し合いました。

 

・個人が思う生きずらさと社会が思う生きずらさ

・今と昔の生きずらさ

・生きずらさを感じるのはどんなとき?

・生きずらい人はどんな人?

・「生きずらい」は誰が発してよいのか?問うてよいのか?

・生きることが生きずらさとの闘い

・自己否定しているとき

・自分事の個別の事態ではなく、もっと遠く、社会全体の漠然とした生きずらさ。

・(安心して生きられる)場が失われる不安があるのではないか?

・性別は関係するのか?

・生きずらさは(時代や社会の状況によって)つくられるのではないか?

・生きやすいを考えればよいのではないか?

・他者に対して「生きずらいのではないか」と判断することは越権行為なのではないか?

・体験や知識がないと生きずらかった

・生きずらさは人間と人間の関係から生じるのではないか?

・生きずらさは人間と社会の関係から生じるのではないか?

・流れに乗れないときに生きずらいのではないか?

 

 上に羅列したものは話された内容の一部です。「生きずらさ」について、参加者で多様な視点で具体例を出し合ったり、質問をしたり、言葉の意味を確認し合ったりして、ぐるぐる巡りながら話が深まっていきました。私個人としては、自身の問いのフレームワークが変えられた貴重な体験でした。また、「わかり合えなさ」を感じたり、「果たしてこの言葉で言いたいことを表現できているのか?」と、もやもやしたりして、非常に楽しい時間となりました。ありがとうございました。