先日、第3回みちくさ哲学カフェが野沢会館で行われました。今回も新しくお見えになった方がおられ、合計7名で対話をしました。
今回のテーマは、「なりたい自分にどうすればなれるのか?」でした。今回のテーマも参加者の方から出していただきました。以下は私個人視点での記録と考えです。
対話が始まると、「なりたい自分」に「ピンとくる派」、「ピンとこない派」、「なりたい自分の原因」、「なりたい自分の質」などの話が出されました。
▶「ピンとくる派」
・例えば、スポーツの上達。ミスしたときなど、これは「本当の自分ではない、もっとできるはず」と思う。
・周囲から、上手やかっこいいと思われたい。
・「自分」はあやふやなものであり、自分との対話を通して本当の自分に出会う。
・(テーマを逆に考えて)なりたい自分になれなかったり、それが分からなかったりして苦しい
・今の自分を否定しすぎて、『本当(理想)の自分』にとらわれていることもあるのではないか」
▶「ピンとこない派」
・なりたい自分とは何か?
・今の自分が自分だから、「なりたい自分」というフレーズに違和感がある。
・向上心がないわけではないが、今の自分に満足、納得している。
▶「なりたい自分の質」
・10年後の未来の健康な自分。
・生活ベース(平凡で幸せでありたい)と自分オリジナルの希望(サッカー選手になりたい)があるのではないか。
・周囲の環境や自身の時間で変化するのではないか。
・現在の自分と理想の距離の話ではないか(健康になりたい、将来○○になりたい、幸せになりたい)
対話が進むと、「なりたい自分という考えはどうして生まれるのか?」「なりたい自分とは何か?」、「本当の自分とは何か?」という問いへと向かっていきました。
▶「なりたい自分」は「他者の視点」、「未来」、「自分視点」、「周囲からの刷り込み」があることで生まれる
・親や周囲の人の期待やメディアの影響
・子どもが本当にしたいことを親はわかるのか?
・周りの人から良いように見られたい。
・憧れの人のようになりたい。
・健康でありたい。平凡に幸せに暮らしたい。
・より良い自分になりたい。
▶「本当の自分」
・「自分探し」や「自分がやりたいことを見つける」には違和感がある。「自分づくり」や「自分がやりたいことをつくる」というイメージ
・自分との対話、メディテーション(広い意味で瞑想)を通してわかってくる。
・「なりたいこと」や「やりたいこと」をわかるには解きほぐす必要がある。
・「自分との対話」がいまいちピンとこない。→人には思考のタイプがあるという説があり、それを考えると平行線なのかもしれない。
・自分が本当にやりたいことを自分はわかるのか?
・本当に自分がやりたいことは、やってみればわかる=他者評価から抜け出していた
今回のテーマは「なりたい自分にどうすればなれるのか?」でしたが、特に「なりたい自分」と「そもそも自分とは」について対話がなされました。「私」を語ろうとすると「私」が滑り落ちる感じがしたり、「私」を語ろうと思ったら「時間」や「他者」が出てきたり…。今回も結論らしきものは出されませんでしたが、参加者みんなでぐるぐると考える時間となりました。
そして今回の哲学カフェでは、よい意味で「わかり合えなさ」のようなものを感じることができました。ファシリテーションをしながら、ある参加者の発言をうまいこと全体に共有できなかった、というか自分にうまく落とし込めなかった場面がありました(別にファシリテーターが気張るものでもないかもしれませんが…)。対話は進んでしまったけれど「あの時あの人は何を言おうとしていたのか」と頭の片隅に残ることが、結構大事なことのように思えました。
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