館長の自己紹介

元不登校、元小・中学校教員

 

 学校に行っていなかった自分は教育を受けていなかったのか?という素朴な疑問から哲学に足をつっこんだ人。10年くらい哲学を頭の片隅に置きつつ学校現場で働いてきました。学生時代に体験した哲学カフェが忘れられず、自分が住む佐久市にも人が語り合い、成熟し合う場があればいいなと思い、勇気を振り絞って始めてみました。

なぜ「私設図書館」、「哲学対話」なのか?

 私は教育や人の成熟に強い関心をもっています。そのため、これまでに小学校で1年間、中学校で10年間教員を務めてきました。現場で働きながら、次のようなことが漠然と頭の片隅にありました。

 まず、大人も子どもも、そして社会全体がとにかく忙し過ぎるということです。「時間」、「余裕」、「余白」、「遊び」などは人や社会が成熟する上で必要不可欠なはずなのに、みんなでそれらを削ぎ落す貧しい社会を作っている気がしてなりません。

 これは私の先生の受け売りですが、本を読むことは「様々な価値観の色眼鏡をかけること」であり、それは「自分と距離をとること」であると仰っていました。また、約10年ほど学校教育に携わる中で、教育界で「ことば」がやせ細っていく流れを感じました。「じっくり本を読む」、「ゆっくり語らう」多種多様な場所が必要だと考えるようになりました。

 次に、物事を俯瞰して考えることの大切さです。現代は良くも悪くも同じ特徴の人が集まりやすい構造になっていると思われます。趣味などについてはそれでよいと思いますが、大事な問題についてはそのようなわけにはいきません。例えば、自然環境のことだけを考えていれば、自然は豊かになってもエネルギーの課題は解決しません。反対に、エネルギーのことだけを考えていれば、一時的に快適な生活を送れるようになっても、日本の国土は太陽光パネルが広がるディストピアになっているかもしれません。あるいは、賃金が低いと豊かな生活が送れないから日本は経済成長をしなければならない、たくさん働かなくてはならない。しかし、身体を壊してしまったら元も子もないですし、そもそも経済成長を望めるのかもわかりません。このように、大事な問題は俯瞰して多面的に考えることが重要です。

 また、何事においても哲学は大切だということです。哲学は、普段私たちがわかりきっていると思っていることを問いなおします。平和、環境、エネルギー、経済、福祉など様々な課題がありますが、それらの課題を考え始める一歩手前で、そもそも「幸せとは何か?」、「お金とは何か?」、「人はなぜ生きているのか?」といった問いを考えることが、必要なのではないでしょうか。パスカルという哲学者は「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っているのである」(ブレーズ・パスカル『パンセ』中公文庫、前田陽一、柚木康訳、2018年改版134頁)と言っています。例えば、そもそも「幸せとは何か?」を考えずに、みんながよいと言っているから「持続可能な開発目標」に邁進するというような行為は、みんなで目隠しをして危険な場所に走っていることに等しいのではないでしょうか。

 ざっくりとではありますが、上記のようなことをなんとなく考えています。そこで、「本棚を作る人たちの課題意識を俯瞰できる“いい加減で適当な丁度よい本棚”があったらよいな」、「誰もがゆっくりじっくり哲学対話できる場所があったらいいな」と考え始め、「私設図書館+哲学対話」に至りました(施設はまだありません)。